|
学校保健室事業 始まり
1994年の夏休みに、日本からフィリピンへスタディ・ツアーの団体が来ました。
そのツアーのメンバーは学生で、フィリピンの学校を視察したいということでした。
当時ツアーの受け入れの責任を負っていたCASEDO(カリナン社会環境開発機構)のスタッフは、敢えて日本の学生たちに、道がでこぼこだったり狭すぎたりして私たちの日常の足であるジプニーが通れないために、生徒たちが全員徒歩通学せざるを得ないカリナンの辺鄙な場所にある小学校を見せることに決めました。訪れた学校の生徒たちは毎朝5時には起き、学校から遠い家の子供であれば4キロの道のりを歩いて通学してきます。
7時20分に始まる学校に遅刻しないためには、それだけ早く起きなければならないのです。
日本の学生たちはその学校に着いたとき、学校に教室や机、椅子、教科書などの基本的なものすら足らない現状に気が付きました。
また子供たちの多くが栄養失調や栄養不良のために年齢のわりに皆体が小さいことにもすぐ気が付きました。一生懸命先生の話を聞き、勉強している子供たちの様子を見ているうちに、学生たちの中に子供たちに対する愛情がが芽生えていきました。
学生たちは子供たちが耐えなければならない苦難に思いを馳せ、最寄の病院からも遠く離れた辺鄙な地域についても深く考えを巡らせました。子供たちの負担を軽減するために何かできないかと考えた学生たちに、フィリピンの子供たちに薬の支援をするという考えが浮かびました。
フィリピンの子供たちが心身ともに健康に育つことによって、大人になった時に国にも地域社会にも貢献できる人になると考えたからです。このような日本の学生たちの温かな気持ちから『学校保健室支援活動』は生まれました。
|