フィリピンに学校保健室を

薬がない、病院にいけない

毎年、年に三回ほど山の学校へ薬を届け、医薬品の使用法や健康や栄養に関しての授業を行います。この活動を支援して下さるのは日本の学校や企業です。年間五万円で支援できます。山の学校の子どもたちは経済的理由から栄養失調の子ども、病気がちの子ども、一日に三回の食事を十分に摂取できない子どもたちが多くいます。

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里子からの手紙

フィリピンの学校を支援、
フィリピンの学校と交流をしませんか?

フィリピンの学校には保健室がありません。私たちは学校に保健室を設置し、毎年、年に三回ほど山の学校へ薬を届け、医薬品の使用法や健康や栄養に関しての授業を行います。この活動を支援して下さるのは日本の学校や企業です。年間五万円で支援できます。支援者は学校・企業のみならず、個人のかたでも構いません。スポンサーの名称で「○○保健室」ができ学校との交流ができます。

学校保健室活動のお問い合わせ:►メールによる問い合わせはこちら

学校保健室活動のきっかけ

里子からの手紙

学校保健室事業 始まり 1994年の夏休みに、日本からフィリピンへスタディ・ツアーの団体が来ました。 そのツアーのメンバーは学生で、フィリピンの学校を視察したいということでした。 当時ツアーの受け入れの責任を負っていたCASEDO(カリナン社会環境開発機構)のスタッフは、敢えて日本の学生たちに、道がでこぼこだったり狭すぎたりして私たちの日常の足であるジプニーが通れないために、生徒たちが全員徒歩通学せざるを得ないカリナンの辺鄙な場所にある小学校を見せることに決めました。訪れた学校の生徒たちは毎朝5時には起き、学校から遠い家の子供であれば4キロの道のりを歩いて通学してきます。 7時20分に始まる学校に遅刻しないためには、それだけ早く起きなければならないのです。 日本の学生たちはその学校に着いたとき、学校に教室や机、椅子、教科書などの基本的なものすら足らない現状に気が付きました。 また子供たちの多くが栄養失調や栄養不良のために年齢のわりに皆体が小さいことにもすぐ気が付きました。一生懸命先生の話を聞き、勉強している子供たちの様子を見ているうちに、学生たちの中に子供たちに対する愛情が芽生えていきました。 学生たちは子供たちが耐えなければならない苦難に思いを馳せ、最寄の病院からも遠く離れた辺鄙な地域についても深く考えを巡らせました。子供たちの負担を軽減するために何かできないかと考えた学生たちに、フィリピンの子供たちに薬の支援をするという考えが浮かびました。 フィリピンの子供たちが心身ともに健康に育つことによって、大人になった時に国にも地域社会にも貢献できる人になると考えたからです。このような日本の学生たちの温かな気持ちから『学校保健室支援活動』は生まれました。

活動の変遷

当初、日本の学生が主体的に集めた支援金を使うJPVAのこの活動の対象校に5つの学校が選ばれました。 その選ばれた5校にはCASEDOスタッフが年3回訪問し、腹痛や頭痛、熱、下痢、咳、皮膚疾患といった子供たちがかかりやすい一般的な病気に効く基本薬を配達することになり、この恩恵を受ける学校側とCASEDOは同意書を交わしました。 同意書には、CASEDOが提供する植物の種や苗木を学校の裏庭に植えること、薬の受け取り責任者を決め、薬の受け取りや使用状況などを記録し、 CASEDOに月例報告書を提出すること、薬棚やベット、体重計などを設置する小さな保健室を作る場所を用意することといった内容が盛り込まれました。 植林は子供たちの仕事となりましたが、植林活動の後に、ご褒美として地元でアロッズ・カルドと呼ばれる子供たちに人気のお粥の給食も行うようにしたので、子供たちは目を輝かせながら笑顔で植林活動を行うようになりました。

支援対象校の増加

里子からの手紙

この活動は人道的な活動として、トリル地区やカリナン地区の辺鄙な場所にある学校の間で次第に有名になっていきました。 地方行政の手が差し伸べられない場所にある学校が支援を受けたいとどんどん名乗りをあげてきました。 救いの手を望む学校の数が増え、最初5校だったものが39校にまで増えましたが、その内日本のスポンサー校がついたのは19校だけで、後の20校にはスポンサー校がつかないままJPVAから支援することになりました。 支援対象校の数が増大したこの時期、薬の配達業務はCASEDOからCMU (地域医療福祉総合センター)へ移りました。 CASEDOは環境保全のための組織、CMUは医療福祉のための組織という役割分担がより明確化されたからです。その後、CMUからJPVAに活動主体が移り、現在まで、JPVAはフィリピンの支援対象校の子供たちと日本のスポンサー校の子供たちとを結ぶ掛け橋の役目を担っています。 貧しいフィリピンの学校の子供たちが、自分たちの命を守ってくれるこの活動への感謝の気持ちを込めた手紙やカードを送ることにより生まれる友情が、もう何年も続いています。

薬の恵み

里子からの手紙

トリル地区の小学校のある生徒は自分の体験をスポンサー校に充てた手紙で書いてくれました。その内容をここでご紹介いたします。 僕は授業を受けている時、急におなかが痛み始めました。脂汗が流れ、おなかの痙攣が始まったときはびっくりしました。しばらくすれば痛みは消えてなくなるだろうと思って我慢をしていたのですが、痛みはなくなるどころかひどくなる一方で、すぐに痛みは限界に達しました。 先生は僕の様子にようやく気づき、慌てて駆け寄り「どうしたの?」と尋ねてくれましたが、僕は返事すらできない状態でした。僕の様子を見た先生は急いで保健室へ連れて行ってくれました。 様子からおなかが痛いとわかった先生は、腹痛に効く薬を僕に飲ませ、おなかには油を塗ってくれました。この処置を受けてしばらく経つと、痛みが薄れてきたのか眠ることができました。 後で先生がくれた薬がフィリピン政府からのものではなく、僕たちのことを心配してくれている日本の友達からもらったものだと聞いて大変うれしく思いました。 環境の劣悪な地域の学校ではこのようなことは日常的に起こります。 もし日本のスポンサー校からいただいた救急治療用の薬が無かったとしたらこの子供はどうなっていたでしょう。学校から最寄りの病院までは遠く、薬局すらも近くにはないという状況を考えると、想像するだけでも恐ろしいことです。 子供の両親は、自分の子供がおなかが痛くなった時薬を服用できたことに大変感謝しました。両親はもし薬が飲めなかったとしたら一体どんな事態になっていたか想像したくもないと言っていました。 また自分たちでは最寄りの病院へ薬をもらいに駆け込むこともできなかっただろうとも言いました。5人の子供を抱える貧しい農民の父親にとって病院の診療費は払えるものではありません。

里子からの手紙

この家の財政状況では日常の食料すら満足に買うことができないのです。 この家族は、会ったことのない自分たちの息子の命を救ってくれた日本のスポンサーの方々に一生忘れられない恩を感じています。薬の支援は子供たちだけでなく先生方にも恩恵を与えています。 CMUの学校保健室の担当者が月例報告書を受け取りに訪問すると、ある先生から感謝の言葉を述べられました。その先生は学校の裏庭で草刈をしていて手をひどく切った時、薬を塗って助かったというのです。手から血があふれ流れるような怪我でしたが消毒をしたお陰で感染症を防ぐことができたといいます。 週の始まりの月曜日の出来事で、学校を休んで病院へ行けずそのような処置を施したということでした

更新情報

■活動の最新情報

学校保健室支援活動

►学校保健室支援活動とは
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►支援校の増加
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►2009年2月の活動報告
►2008年10月の活動報告
►2008年7月の活動報告
►学校保健室活動のブログ

日本国内での活動報告

►学校保健室支援活動報告(国内)

栄養改善指導プログラム

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活動内容